「本当は、どうしたいの?」
そう聞かれたとき、
いつも頭が真っ白になっていました。
やりたいことがないわけじゃない。
でも、うまく言葉にできない。
誰かの意見にはすぐ合わせられるのに、
「自分の気持ち」だけが、ぽっかり抜けている感じ。
私はずっと、人に合わせることは得意だったけど
「自分はどうしたいか」を考えることがすごく苦手でした。
そんな自分を、どこかで「薄っぺらい」と感じていたし
本音がわからないことが、情けなくて、もどかしくて
自己肯定感もどんどん下がっていったんです。
今日は、そんなふうに「自分の気持ちがわからなかった私」が
少しずつ、自分を取り戻していけた過程をお話ししようと思います。
「どっちでもいいよ」って言ってたけど
振り返ると、私はずっと
まわりの期待に応えることが当たり前になっていました。
「これやってくれる?」と頼まれたら断れない。
「どっちがいい?」と聞かれても、
「うーん、どっちでもいいよ」と答えてしまう。
でもそれは、我慢してたわけじゃなかったんです。
本当にどっちでもよかった。
強くこだわりたい気持ちが湧いてこなかっただけ。
今思えば、
興味を持つこと自体を、どこかで抑えていたのかもしれません。
でも、まったく“好きなもの”がなかったわけじゃないんです。
誰かに聞かれたわけじゃないけど、
「これがいいな」って思ってたものは、ちゃんとありました。
だけどそれは、あまり人には言ってこなかった。
「変に思われるかも」とか
「そんなの好きなんだ」って言われるのが怖くて。
だから、本当に大切な“好き”だけは
人に見つからないように、そっと心の奥にしまっていたんだと思います。
「どうしたいかわからない」は、理由がある
「私はどうしたいのか」がわからなくなっていたのは、
たぶん、自分の気持ちを大事にする習慣がなかったからだと思います。
小さなころから、
まわりの空気を読むのが得意で
自然と「人に合わせること」を優先してきました。
でも今振り返ると、
私にとっては妹の存在がとても大きかったように思います。
妹は、私とは正反対で
好き嫌いがはっきりしていて、感情表現もストレート。
怒ると大きな声で泣いたり、はっきり不満を口にしたりしていました。
それに対して、母親も負けずに大きな声で叱る。
家の中にピリッとした空気が流れて
そのやりとりを、私は少し遠くから見ていました。
怖かった、というより
私は静かにしてた方が、家の中が平和でいられる。
どこかでそう感じていたんだと思います。
だから私は、自分の感情を表に出すのをやめた。
怒ったり泣いたりするより、
空気を読んで、波風を立てないようにする方を選んだ。
そうやって、
“感情を出さない自分”を無意識に育てていったんです。
大人になっても、
「どうしたい?」と聞かれても答えられないのは
そうやって感情の感度が鈍くなっていたから。
「自分がない」のではなくて
「感じる力」を長いあいだ置いてきてしまっていただけだったんです。
自分の気持ちを取り戻すって、こういうことだった
「どうしたいか分からない」状態から抜け出すのに
特別なことをしたわけではありません。
むしろ私は、
ちょっとした選択に目を向けることから始めました。
たとえば、カフェで飲み物を選ぶとき。
いつもなら「なんでもいいよ」って言ってたけど、
その日だけは、ちゃんとメニューを見て
「今、自分が飲みたいもの」を選んでみた。
たったそれだけのことなのに、
心の中で、ほんの少し“私”が戻ってきた気がしました。
そして、もうひとつ大きかったのが
マインドマップで自分の気持ちを書き出すようになったこと。
頭の中だけだとモヤモヤしてる気持ちも
言葉にして、書き出して、枝を広げていくうちに
あ、私こう思ってたんだ
ほんとはこれ、いやだったんだな
って、気づける瞬間が増えていきました。
たった一言でも、自分の中から出てきた言葉に
「うん、それでいいよ」って返してあげるだけで、
少しずつ、自分の気持ちに居場所ができていったように思います。
あなたへ伝えたいこと
「本当はどうしたいの?」と聞かれても
すぐに答えが出てこないときって、ありますよね。
私もずっと、
まわりに合わせることばかりで
自分の気持ちがわからないまま、生きてきました。
でもそれは、
「自分がない」のではなくて
気づく力を置いてきてしまっていただけだったんです。
本当の気持ちは、ちゃんとある。
ただ、長いあいだ静かにしていただけなんです。
少しずつでいい。
「今、何が飲みたい?」
「今日はどんな気分?」
そんな、小さな問いかけから始めてみてください。
気づこうとするその姿勢そのものが
自分を大切にする第一歩になります。
わからないままでも、大丈夫。
あなたの中にも、ちゃんと「自分の気持ち」があります。
それは、いつだってここにいる。